反緊縮・減税で平和で豊かな日本へ

2019年05月


アメリカから輸入する形でMMTが注目を集める中、経済学者松尾匡さんの反緊縮経済政策に対する関心が高まると共に、下記のような批判的論調も出ています。

田代秀敏氏が解説❗️明石vs松尾論争】国民に金をばら撒いたら❓預金かタンス貯金になるだろう

異次元緩和とマネタリーベースの積み上げで国債暴落&ハイパーインフレ?(明石順平Vs.松尾匡)

MMT論者は歴史的事実を無視している」!松尾匡・立命館大教授らが主張するMMTの難点を明石順平氏が指摘!岩上安身による『データが語る日本財政の未来』著者・明石順平弁護士インタビュー19.5.29


これらの批判の論者が松尾匡さんの「反緊縮経済政策」をどの程度理解した上で論じておられるのだろうか、という疑問が残ります。松尾匡さんの「反緊縮経済政策」を批判する場合、最低でも松尾匡さんが記した「反緊縮経済政策Q&A」を熟読した上でご自身の意見を対置する形で論じて頂けないかと考え、以下に纏めてみました。

Q1: 国と地方の借金がGDPの二倍以上に達しているそうですが、あんまり多すぎませんか?

Q2:日本政府の借金は、国際的に見て多いのではないですか?

Q3:インフレが進んだ時、それを抑えることができるのでしょうか?

Q4:あまり国債が多すぎると、どこかで円が暴落するのではないですか?

Q6:国債を出しすぎると国債の信用がなくなるのではないのですか?

Q8 しかしそれは日銀による財政ファイナンスと同じで、禁じ手ではないですか?

Q9 財政ファイナンスをするとハイパーインフレになると聞きましたが?

Q15:プライマリーバランス(借金の元利返済以外の支出と収入の一致)は目指さなくていいのですか?


MMTについて「インフレを制御できない」「ハイパーインフレになる」等という批判を論駁し、今日本で採るべき経済政策が明快に示されています。
下記タイトルをクリックすると原文にリンクします。頭の中を整理するため、要点を纏めてみました。
中野 剛志氏MMT「インフレ制御不能」批判がありえない理由 (東洋経済)

「財政は赤字が正常で黒字のほうが異常、むしろ、どんどん財政拡大すべき」という、これまでの常識を覆すようなMMT(現代貨幣理論)。関連する新聞報道が増え続ける中、さらには国会でも議論されることが増えている。そのなかで必ずと言っていいほど出てくるのが「MMTで必ず起こるインフレはコントロールできないのではないか」という批判である。こうした批判をどう受け止め、考えるべきなのか。
富国と強兵 地政経済学序説』で、いち早くMMT(現代貨幣理論)を日本に紹介した中野剛志氏が解説する。

「(財政赤字を拡大させれば)必ずインフレが起きる。(MMTの提唱者は)インフレになれば増税や政府支出を減らしてコントロールできると言っているが、現実問題としてできるかというと非常に怪しい」
MMT批判のほとんどは、このような「インフレを制御できない」というものに収斂している。
こうした MMT に対する批判の誤りは以下の三点から見て明らかである 

第1に、日本は20年にも及ぶ長期のデフレである。長期デフレの日本で「財政赤字の拡大は、インフレを起こす」などと心配するのは、長期の栄養失調の患者が「栄養の摂取は、肥満を招く」と心配するようなものである。
このような長期のデフレは、少なくとも戦後、他国に例を見ない。今の日本は、インフレを懸念するような状況にはない。要するに、持続的な経済成長はインフレを伴うものなのであり、デフレでは不可能である。
もちろん、過剰なインフレは有害であるが、マイルドなインフレは正常な経済には必要である

第2に、「インフレを制御する」ためには、増税も歳出削減も必要ない。単に、2%程度のインフレ率を維持するために、予算規模を前年と同程度にすればよいだけである。それは増税や歳出削減と違って既得権を奪うものではないから、政治的にはるかに容易だ。かくして、平時の先進国で、インフレがコントロールできなくなるなどという事態は、想定しがたい。
仮に増税や歳出削減が必要なほど高インフレになったとしても、日本政府が増税や歳出削減に踏み切れないなどという証拠はない。
実際、日本政府には、過去20年間、高インフレどころかデフレにもかかわらず、消費税率を2度も引き上げ、公共投資を大幅に削減したという実績がある。愚かで不名誉な実績ではあるが、日本政府がインフレを抑止できることを見事に証明しているではないか。

第3に、過去30年間、日本経済に限らず、先進国経済は、新自由主義的な経済運営に傾斜したために、インフレが起きにくい経済構造へと変化している。インフレで悩んでいた1970年代以前とは、資本主義の姿がまるで違うのだ。

1980年代以降、日本を含む先進諸国では、労働組合の交渉力が弱体化する一方、規制緩和や自由化による競争の激化、さらにはグローバル化による安価な製品や低賃金労働者の流入により、賃金が上昇しにくくなり、インフレも抑制されるようになった。最近では、ITやAI・ロボットなどの発達・普及が、この変化に拍車をかけている。

また、金融市場の規制緩和や投資家の発言力を強めるコーポレートガバナンス改革により、金融部門が肥大化し、投資家の力が強くなり、労働分配率は低下していった。

つまり、政策的にマネーを増やしても、実体経済、とりわけ労働者には回らず、金融部門に流れていってしまう経済構造になったのである。

●以上の議論をまとめよう。
日本は20年にも及ぶデフレであるために、長期の経済停滞が続いている。
したがって、財政赤字を拡大して、デフレを脱却する必要がある。
ただし、新自由主義に基づく改革のせいで、財政赤字を拡大してもインフレが起きない経済構造になってしまっている。
このため、財政赤字の拡大と同時に、新自由主義とは正反対の経済構造改革をしなければならない。

要するに、平成時代に行われた一連の改革とは逆の方向に転換しなければならないということだ。

ところが、日本の政策当局や経済学者らの大半は、インフレのリスクを誇張してMMTを批判し、財政赤字の削減を主張し続けている。日本の長期停滞を招いた従来のパラダイムから抜け出せないのだ。

この日本の現状は、ドイツ生まれのイギリスの経済学者、エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーの次の言葉を思い起こさせる。

「頭のいいバカは物事を必要以上に大きくし、複雑にし、凶暴にする。
逆の方向に転換するにはわずかの才とたくさんの勇気がありさえすればいい」

 ネット上で「NHK WEB news “天下の暴論” MMTから学ぶこと」という記事を見かけました。
 NHKの記者がMMTの研究が進められている米国に飛び、MMTを四半世紀にわたって研究している経済学者、バード・カレッジのランダル・レイ教授を取材、国内の反対派、賛成派の経済学者からも取材した記事で、MMTとは何か、MMTをめぐる日本の経済学者や専門家がどのように捉えているかを知る上でとても分かり易い記事です。
MMTに世間の関心が高まる中、NHKでこの問題をとり上げたことはとてもタイムリーな対応です。この記事を多くの方々に読んで頂きたいものです。
(以下、転載)
「国はどんなに借金をしても、その重荷で破綻することはない」と言い切って、積極的な財政出動をよびかけるアメリカ発の異端の経済理論=MMTが話題になっています。

最初に聞いた時、わたしは「天下の暴論」と思いました。長年、国の財政を取材し、借金が膨らみ続ける状況に警鐘をならす原稿を書き、解説してきた身にとって、借金を減らす努力を「全否定」するかのような経済理論は、「元も子もない」と思ったからです。日本の政府、中央銀行の関係者も含めて、そう思う人が多いでしょう。

ただ、暴論として片づけずに、世界一の経済大国アメリカで議論になっているわけを知りたいと、取材することにしました。(アメリカ総局記者 野口修司)

MMTは、「Modern Monetary Theory」という学説。その要点は、「自国の通貨を持つ国家は、債務返済に充てるお金を際限なく発行できるため、政府債務や財政赤字で破綻することはない」というもの。景気を上向かせ、雇用を生み出していくためにも、「政府は借金を気にせず、積極的に財政出動すべきだ」と説いています。

そして何より、巨額の借金を抱える日本が、この理論の正当性を示すモデルだとも言われています。少し詳しく知りたい人は、こちらの特集を読んでみてください。
タイトルをクリックすると記事にリンクします。

日本は破綻していないじゃないか
私が取材に向かったのは、ニューヨークから車で北に2時間あまり。バード・カレッジのランダル・レイ教授。MMTを四半世紀にわたって研究している経済学者です。
日本のこともよく知っていて、穏やかな口調ながら、過激な発言をする方でした。

主流の経済学では、政府が財政政策に頼りすぎて借金が膨めば、通貨の信用が低下して金利は急上昇をもたらす。その結果、債務が雪だるま式に増え、返済不能に陥って破たんする、と考えられています。ですから、MMTは「あり得ない」異端の学説とみなされています。
が、レイ教授は、「日本を見てみろ、いろんなことを教えてくれる」と指摘します。

 私が取材に向かったのは、ニューヨークから車で北に2時間あまり。バード・カレッジのランダル・レイ教授。MMTを四半世紀にわたって研究している経済学者です。
日本のこともよく知っていて、穏やかな口調ながら、過激な発言をする方でした。

 債務残高が対GDPで100%だろうが、200%を超えようが(日本は約240%)、日本は破たんしてないじゃないか。
 私が言いたいのは、アクセルを踏んだまま成長をもっと加速させ、それを通じて、財政赤字を減らすようにするべきだ、ということ。
 借金を抱えても金利が上がらない日本は、正統派の経済学者が財政赤字や対GDPの債務の大きさについて何と言おうと、真実ではないこと示している。日本は、正統派の予測を覆すいい判例なんだよ。

では、「お金を刷る」役回りの中央銀行は、どうなのか。際限なく通貨を発行するようなことが許されるのだろうか、と聞くと、こんな答えが返ってきました。

私たちは、中央銀行が「政府の銀行」として果たす役割を強調する。そう考えると、中央銀行の「独立性」は、そんなに重要ではない。
時々、「中央銀行は、政府がお金を使いすぎるのを止めることができる」と聞くが、中央銀行はノーとは言えない。彼らが政府の出す小切手を不渡りになんてできないからだ。

私よりも先に(?)MMTに興味を持ち、今回、一緒に制作を進めた「おはよう日本」の趙ディレクターが取材にあたりました。

やはり多数意見は、財政規律が失われることを危惧し、否定的なものでした。(おはよう日本ディレクター 趙顯豎)

「MMTはNO。無駄な支出を増やすおそれ」
野口悠紀雄氏(元大蔵官僚、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問)
「たとえば社会保障など、継続的に予算(支出)が必要な部門では、一度、始めてしまえば、簡単にはやめられません。突然、『来月から年金を減らします』『保険料を上げます』などとしたら人の生死に関わりかねません。MMTは、支出がどんどんと際限なく膨らんでいく危うさを持つのです」

「MMTは留保つきYES。経済の誤解正すきっかけに」
松尾匡教授(立命館大学/経済理論)
「政府は、まず税金を集めて、それを使っているというイメージがありますが、誤解です。家計や企業のように『財布』からお金を出して使っているわけではないのです。実際には、まず政府と中央銀行がお金を必要なだけ作って、民間から必要な財やサービスを買っています。その結果、お金を出しすぎてインフレが進まないよう、お金を回収する働きをするのが税金です。これは、MMT独自の見方ではなく、経済学者なら誰もが同意する事実でしょう」

若者が支持するMMT
では、アメリカで、このMMTがどうして話題にのぼるようになったのでしょう。それは、野党の民主党(系)の左派の人たちの「理論的支柱」のひとつだ、と注目されたからです。

2016年の大統領選挙でクリントン氏と民主党の指名を争ったバーニー・サンダース上院議員は、「国民皆保険」「大学の無償化」などを訴え、若者の支持を集めました。

リーマンショックから10年あまり、景気回復と言うが、恩恵を受けたのは大企業や富裕層ばかりで、自分たちの生活は一向に良くならない。そんな社会的な閉塞感が、MMTを「救い」にしようとしたのです。

アメリカで「国民皆保険」をやろうとしたら、数十兆円、いや数百兆円を覚悟しなければなりません。「そんなお金、どこにあるの?」などと私は思ってしまいますが、サンダース氏を支持する若者は、MMT的な考え方を待っていたのだと思います。

そう、MMTなら、「費用がいくらかかるなんてどうでもいい。とんでもない額になるというけど、『だからなんだ』と」(レイ教授)。

なぜ、MMTが若者の支持を得ているか? レイ教授は、こう答えました。
『希望』を与えるからだと思う。これだけの支持が言わんとしていることは、『これまでたどってきた道は、基本的に絶望的な道だ』と。この道は、アメリカ社会の大部分を絶望的な結果に招いてしまっている。他の富裕国でも、絶望感はあると思う。そこへMMTがやってきて『別の道をやってみてもいいんだよ』と提示した」

ひるがえって、日本の若者は…
私は、ニューヨーク赴任前、日本の大学で非常勤講師をしていました。講義のあと、就活を控えた女子学生が聞くのです。

「先生、豊かな老後を過ごすには1億円必要と聞きました。どういう就職をしたら、1億円、ためられるでしょうか」まだ、老後ではない私は答えられませんでした。今から社会に出ようという大学生が老後の心配をするー。聞くと、やはり、国の抱える巨額の借金が気になるんだそうです。

「このままいけば、医療も年金も信用できないし、持続できない。自分で守っていかないと」という彼女は、おそらく消費も倹約するでしょう。消費が伸びなければ金は回らないし、景気は良くなりません。いくらレイ教授が「気にしなくていい」と言っても、日本の若者がMMTを広く受け入れる状況にはなさそうです。

MMTから何を学ぶか
今回、一緒に取材した趙ディレクターは、社会人3年目。取材を終えて、こう話しています。
「若者の将来不安は、自分の実感とも重なります。雇用や社会保障など、限られた“パイ”を奪い合うことになるかもしれない息苦しさを、同じ世代に感じることもあります。MMTは、そうした“パイ”の奪い合いから抜け出すために、別の手段がある?と考えるきっかけになるのでは、と思いました」

レイ教授自身も、MMTが異端視されていることをわかっています。そしてインタビューで次のように話しました。

MMTに対して批判が多いのは理解している。ただ、少なくとも以前より注目され、議論され、人々が疑問を持ってくれることはうれしいね。私は、これで議論が変わっていくと思っている。最終的には、MMTになるかと言えば、そうではないだろう。しかし、政策立案者や正統派経済学者の多くが、「債務の持続可能性」や「不可能性」という観念を考え直していることが明らかになりつつある。

課題先進国”に新たに投げかけられたMMT
高齢化、少子化、人手不足、そして、低成長と低インフレ…。これから、多くの先進国が直面する問題を先取りしている“課題先進国”日本。

逆説的ですが、打ち出の小槌のようなMMTが話題になることで、改めて「日本はどう課題を解決していくか」が問われているように思います。「政府の役割」「政府支出の役割(つかいみち)」を、改めて考えるきっかけになって欲しいと思います。


「東洋経済」に松尾匡氏が世界の反緊縮論について解説する記事が掲載されました。
欧米で起きている反緊縮の様々な潮流の主張とそれらの背景について解説されています。
下記タイトルをクリックすると記事にリンクします。
アメリカ政界に旋風を巻き起こしている「グリーン・ニューディール」や「MMT(現代貨幣理論)」を唱えるオカシオコルテス下院議員をはじめ、イギリスのジェレミー・コービン労働党党首、フランスの「黄色いベスト運動」など欧米左派の新しい動きが取り上げられることが増えている。今いったい何が起きているのだろうか。
「反緊縮」経済政策論の旗手であり、このほど『「反緊縮!」宣言』を上梓した編者の経済学者、松尾匡氏が解説する。

欧米反緊縮左翼のコンセンサス

イギリスのジェレミー・コービン党首の労働党やアメリカのサンダース派、フランスのメランション派や黄色のベスト運動、スペインのポデモス、ヤニス・バルファキス元ギリシャ財務相の始めたDiEM25など、近年、欧米では反緊縮左翼が台頭しているが、そのコンセンサスとなっているのは、次のような見解である。

彼らは「財政危機論」を新自由主義のプロパガンダとみなしている。財政危機を口実にして財政緊縮を押し付けることで、公的社会サービスを削減して人々を労働に駆り立てるとともに、民間に新たなビジネスチャンスを作り、公有財産を切り売りして大資本を儲けさせようとしていると見なす。

したがって、財政緊縮反対は政策の柱である。逆に、財政危機論にとらわれず、財政を拡大することを提唱する。

その中身として、医療保障、教育の無償化、社会保障の充実などの社会サービスの拡充を掲げるのはもちろんである。

しかし「反緊縮」というのは、それにとどまらず、財政の拡大で景気を刺激することで、雇用を拡大するところまで含んでいることに注意しなければならない。

その財源としては一様に、大企業や富裕層の負担になる増税を提唱している。

しかしそれだけではない。中央銀行による貨幣創出を利用する志向が見られ、中央銀行によるいわゆる「財政ファイナンス」はタブー視されていない。

公的債務の返済を絶対視することは新自由主義側の信条と見なされており、公的債務を中央銀行が買い取って帳消しにすることも提唱されている。

これらの政策主張の背景には、不況時の財政赤字を罪悪視せず、貨幣を創出することによって政府支出が行われることを肯定する近年の欧米の経済学の諸潮流が存在する。

反緊縮経済理論の主要3潮流

いずれも、これまで緊縮・財政再建論を支えてきた新古典派マクロ経済学と対抗する、多くはケインズ経済学の現代的潮流であるといえる。

1つの潮流は、主流派ケインジアンの流れである。

有名なものでは、イギリスのニューケインジアン左派のサイモン・レンルイス、アメリカのニューケインジアン左派のノーベル経済学賞受賞者ポール・クルーグマン、同じくアメリカの左派ケインジアンでノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ、アメリカのニューケインジアンの大御所マイケル・ウッドフォード、スペインのニューケインジアンのジョルディ・ガリなどが影響を与えている。
非主流派では、特に、ポスト・ケインズ派の一派であるハイマン・ミンスキーの流れをくむMMT(現代貨幣理論)の論者の貢献が大きい。ランダル・レイ、ウォーレン・モズラー、ビル・ミッチェル、ジェームズ・ガルブレイスらが主な論者である。

また、非主流派ではそのほかに、信用創造廃止・ヘリコプターマネー論の潮流があり、大きな影響を与えている。

すなわち、今日の貨幣のほとんどは民間銀行が貸付先の預金口座に数字を書き込むことで創造され(=信用創造)、そのことが経済不安定の原因になっていると見なす見解で、そこから、信用創造を廃止し、政府が民衆のために支出することで貨幣が創造される仕組みに変えるよう主張する議論である。

代表的な一派にポジティブ・マネー派がある。イギリスにあるシンクタンク、「ニュー・エコノミック・ファウンデーション」に多いようである。

そのほか、ポスト・ケインジアンのアナトール・カレツキー、日本でも『円の支配者』で知られるリチャード・ヴェルナー、ヘリコプターマネー論で有名なアデア・ターナーなどがこうした主張をしている。

次のような主張は、よくマスコミなどでMMTの主張とされているが、これらの3派にも共通する、経済学の標準的な見方である。

・通貨発行権のある政府にデフォルトリスクはまったくない。通貨が作れる以上、政府支出に予算制約はない。インフレが悪化しすぎないようにすることだけが制約である。
・租税は民間に納税のための通貨へのニーズを作って通貨価値を維持するためにある。言い換えれば、総需要を総供給能力の範囲内に抑制してインフレを抑えるのが課税することの機能である。だから財政収支の帳尻をつけることに意味はない。
・不完全雇用の間は通貨発行で政府支出をするばかりでもインフレは悪化しない。
・財政赤字は民間の資産増(民間の貯蓄超過)であり、民間への資金供給となっている。逆に、財政黒字は民間の借り入れ超過を意味し、失業存在下ではその借り入れ超過は民間人の所得が減ることによる貯蓄減でもたらされる。



 YAHOO ニュースのBEST TIMESに標記の記事が掲載されました。朝日新聞系のジャーナリストのMMTに対する感情的にも見える批判的発言が目立つ中、これと正面から切り結ぶ形で評論家の中野剛志氏の分り易い解説が記されており、勉強させて頂きました。
下記クリックすると原文にリンクします。
勝手ながら、以下に転載させて頂きます。
BEST TIMES 景気が悪化する中、朝日新聞がMMTを「曲論」と断定しました

■ 財政赤字の問題は「大きさ」ではない!? 
 よっぽど気にくわないのでしょうね。
 朝日新聞の原真人・編集委員が、またMMT(現代貨幣理論)をメッタ斬りにしています。
朝日新聞の記事は、こちら↓
日本は「放漫財政」の実践国か アベノミックス化する世界

 原氏は、MMTについて、「さぞ理路整然とした経済論文があるのだろうと思われがちだが、体系だった理論はない。いわば「放漫財政のススメ」とでもいうべき曲論である」と言いたい放題。

 いくら嫌いだからって、これは、ちょっと、ひどいなあ。


 少し調べれば、MMTの「理路整然とした経済論文」がけっこう出てきますよ。例えば、ステファニー・ケルトン(旧姓ベル)教授の論文とか。

(Stephanie Bell, ' Do Taxes and Bonds Finance Government Spending? ', Journal of Economic Issues, Vol. 34, No. 3 (Sep., 2000), pp. 603-620.)

論文も一切読まずに「曲論」と決めつけるというのは、ケルトン教授らMMT論者に失礼です。

 それはともかく、原氏は、MMTは「自国通貨を発行できる政府は、通貨を際限なく発行できるから財政赤字の大きさは問題ないという主張」だと言っています。

 これは、まあ、間違いではありませんね。

 確かにMMTによれば、自国通貨を発行できる政府にとって、財政赤字の問題は「大きさ」ではありません。

 財政赤字の問題は、「インフレ率」です。

 つまり、「高インフレ」になってしまったら財政赤字は過剰、逆に「デフレ」になってしまったら財政赤字は過少ということになります。

 日本はデフレなので、日本の財政赤字は過少ということになります! 政府債務が1000兆円になろうが、GDP比政府債務残高が240%になろうが、デフレであるうちは、財政赤字は過少なのです! 

「じゃあ、政府債務が5000兆円になったら?」

 そう聞かれたら、MMTは、こう答えるでしょう。

「まったく問題ないですよ。高インフレでない限りはね」

 ところが、そう答えると、「へぇ~、5000兆円でも問題ないんだって~。い~いこと聞いちゃった♪」とか言いふらす生意気な小学生みたいなのが大人でもいるので、困ったものです。

 繰り返しますが、円を発行できる日本政府の円建て国債はデフォルトしないので、財政赤字の「大きさ」を問題にしても意味がない。「大きい」か「小さい」かは、インフレ率で判断するしかないのです。

 ちなみに、日本の国債がデフォルトしないというのは、財務省も認める事実です。その証拠に、2002年に、財務省が格付け会社宛に出した質問状に、こう書かれています。

「(1) 日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。」

 しかし、原氏は全然納得せず、こう主張します。

「こんな政策をやって通貨価値が急落して超インフレになったらどうするのか、という批判に、MMT論者たちは「簡単には起きない。兆しがあれば、すぐに正常な財政に戻せばいい」とおおまじめに答える。放漫財政に陥った政府が一瞬にして堅実財政に立ち戻るなど、ありえそうもない。」

続けて原氏は、「どこからどう見ても、<アベノミクス=異次元緩和>はMMTの実践だ」と断定します。

 実際には、MMT論者は「量的緩和ではデフレ脱却はできない」と分かっているので、これは正確ではありません。MMT論者を、リフレ派と一緒にしないでください。

 もっとも、原氏は、日銀が国債を購入して財政赤字をファイナンスすること(財政ファイナンス)を指して「アベノミクスはMMTの実践」とも言っているので、その意味では、まあ確かに、アベノミクスはMMTの実践と言えなくもない。

 というわけで、原氏の主張をまとめると、こうです。
MMTを実践すると超インフレになる。
しかも、超インフレは簡単には防げない。
アベノミクスは、MMTの実践である。
■そこで、原氏にお聞きします。

 日本はアベノミクスMMTを実践しているのに、どうして超インフレになっていないのでしょうか? 2%という控えめのインフレ目標ですら、6年たっても、まったく達成できていないのですよ。

  要するに、日本は、超インフレを起こさずにMMTを実践できることを証明してしまっているのです。

 超インフレどころか、日本は、二十年もデフレのまま経済は停滞。普通に考えて、インフレを心配しているような場合ではないでしょう。そんなに超インフレが怖いなら、せめてデフレを脱却するまででいいから、財政支出をもっと拡大して、貧困対策でも防災対策でも教育政策でも、やればいいではないですか。

それとも、何かずっとデフレのままでいたい理由でもあるのでしょうか。

「財政支出を拡大すると超インフレになるから、国民はデフレを我慢しろ」というのは、それこそ「曲論」でしょう。

「武力をもつと戦争になるから、自衛隊はなくせ」という往年の左翼の「曲論」を思い出しますね。

「曲論」と言えば、原氏は、こんなたとえ話を持ち出します。

「想像してほしい。あなたのマンションの管理組合の理事長がある日突然、「これから毎月の管理費と積立金は半額でいい」と言い出したら――。「不足は銀行から借金すれば問題ない」と説明されても誰だってあり得ない話と考えるだろう。いま国家レベルで起きていることは、その種のことだ。」

 「想像してほしい」って…。これは、さすがに、ひどい想像ですね。

 マンションの管理組合のような民間主体は、通貨を発行できません。だから、銀行からの借金が返せなくなることも、あり得ます。

 しかし、日本政府は、円を発行できるので、円建ての債務を返済できなくなることはあり得ません。日本政府とマンションの管理組合は、その点で、根本的に性格が異なるのです。

 この根本的な違いを無視して、国家財政を家計や企業会計になぞらえるというのは、経済学において、最も初歩的な間違いの一つです。こんな基本のキも知らずに、「マンションの管理組合の理事長がある日突然・・・」なんていう変な想像をしていれば、MMTが「曲論」に見えるのも当然でしょう。

 ちなみに、原氏のように、マンションの管理組合など、たとえにならないもので国家をたとえて想像すると、こんな恐ろしいことになります。

「想像してほしい。あなたのマンションの管理組合の理事長がある日突然、「これから、拳銃で武装する」と言い出したら――。「最近は、凶悪犯罪が多いから」と説明されても誰だってあり得ない話と考えるだろう。いま警察レベルで起きていることは、その種のことだ。」

 こんな変な想像をして、「警察官を丸腰にしろ」なんて言い出したら、危ないですよね。

 それと同じです。

 これは、冗談を言っているのではありません。変な想像をして「日本政府は財政破綻する」と思い込んだら、貧困対策、防災対策、教育、震災復興など、大事な財政支出すらもケチるようになってしまうのです。変な想像のせいで貧しく、苦しくなってしまうのは、われわれ国民なのですから、シャレになりません。

論より証拠。

  原真人氏は、東日本大震災が起きた2011年の8月24日、朝日新聞に「記者有論 復興予算「土建国家」に回帰の足音」という論説を書き、こんな主張をしました。

「「復旧・復興」の大義名分の下で予算のバラマキやむだ遣いが横行してはいないか。」

「民主党は、需要も波及効果もない道路や空港を乱造した「土建国家」との決別を訴え、政権についた。復興の名の下で再びコンクリートを聖域化させては元の木阿弥だ。」

 この頃は、大震災の発生から半年ほどしか経っておらず、復興の目途はまだ立っていませんでした。

 復興予算もまったく足りない状況でした。そんな時に、なんと原氏は、復興予算を「土建国家」呼ばわりして、予算のバラマキやむだ遣いの批判をしていたのです! 

 この原氏の論説は、当時、被災地のために必死に働いていた多くの土建業者の心を深く傷つけました。

 というわけで、うっかり変な想像をして、原氏の「曲論」に惑わされないよう、くれぐれも気をつけてください。

 『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』には、「正論」と「曲論」を見分けるコツが、とってもわかりやすく書いてあります。

文/中野 剛志

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